翌朝5:00前、支度もほどほどにまだ薄暗い街へガンガーへ出かけた。
ガンガーの向こうから上がる日の出を見るためだ。
ガートに座り少し待っているとその時は訪れた。
オレンジの光がガンガーをやさしく照らしながら、ゆっくりと登っていく。
美しく清らかで、神々しい。
理屈抜きに鳥肌が立つ。
光に包み込まれる感覚とはこういう感じなのだろうか。
辺りではヴァラナシに住む人々がいつもと同じように、粛々とお祈りを捧げ、ガンガーの水で身を清めていた。この街の人にとってガンガーがいかに生活に根付いているのかが身をもってわかる。
日が昇り、ヴァラナシの街はいつもの生活ルーティーンをいつもと同じように重ねていく。
ガートは人々の憩いの場としても重要な役割をもっている。皆が自然と集まり、共に時間を過ごす。街のコミュニティ論を考える上でとても参考になる風景がここにはあるように強く感じた。人が集まることを意図して広場など計画するにしても、日本ではなかなかうまく行かないケースも多い。単に場所があれば良い訳ではない事は間違いない。
普段の生活に根付き、生活機能をもちつつ、人と人のつながりを形成する社交の場となるような工夫が必要になるのだろう。とても勉強になる体験となった。
ガートに集まる色鮮やかなサリーを身にまとったマダム方をまぶしく感じながら、ヴァラナシの奥深さをひしひしと身体で感じた。